「紀州梅 産地」と「醤油の街 湯浅」から和歌山ラーメン【紀伊半島一周観光Vol.3】

紀州梅の主産地「みなべ市」・醤油の香り漂う伝統的建造物群保存地区「 湯浅町」から和歌山ラーメン「井出商店」と「和歌山城」へ

 紀伊半島一周の旅3日目は朝ゆっくりと温泉に浸かった後、南紀白浜を出発。途中「醤油の街 」湯浅町などに寄りながら、和歌山ラーメンを目的に和歌山市へ向かいます。 

1.紀州といえば梅干し「南高梅」 みなべ市・田辺市が紀州梅の主産地

 和歌山といえば「梅」。ここまで立ち寄った市場や道の駅などでたくさんの梅干しのお土産物を目にしてきましたが、せっかく訪れたので主な生産地と言われている「みなべ市」や「田辺市」で購入をと思い、途中みなべ市のJA紀州「ほんまもんふるさと産地直売所」へ立ち寄りました。

JA紀州「ほんまもんふるさと産地直売所」

 店内には紀州南高梅の梅干し商品や和歌山の土産品、地元生産者の野菜などもたくさん並んでいて、つぶれ梅はちょっと価格もちょっとお得に販売されていてとても良かったと思います。

<住所>日高郡みなべ町東吉田274-1
<TEL>0739-72-1191
<営業時間>午前9時から午後6時
<定休日>年末年始
<アクセス>阪和自動車道 みなべインターチェンジから約0.5キロメートル

2.「醤油の町 湯浅」は街あるきも楽しい 「角長醤油資料館」「金山寺味噌」「重要伝統的建造物群保存地区」

 湯浅町は、伝統的建造物群保存地区(伝建地区)に指定されています。
 昔ながらの町並みが残る、醤油や金山寺味噌で有名な町です。町を歩くと、醤油を造るよい香りがただよいます。
 湯浅町では、昔ながらの醤油造りの伝統が今も受け継がれています。

 古い建物が立ち並ぶ風景と、香り漂う町を歩くと、タイムスリップしたかのような気分を味わえます。

(1)《醤油は「金山寺味噌」から生まれた》湯浅醤油の歴史がわかる「角長醤油資料館」「角長職人蔵」

 醤油の起源は、鎌倉時代に、宗に渡り修行を積んだ禅僧が伝えた特別な味噌に始まるそうです。持ち帰った味噌の製法が現在の金山寺味噌の始まりと言われています。

 金山寺味噌は、瓜やナスなどの夏野菜を漬け込んで作るなめ味噌の一種で、調味料ではなくおかずとして食すタイプの味噌です。
 この味噌の桶に溜まった汁に紀州湯浅の人々が工夫を重ね、生まれたのが現在の醤油なのだそうです。

 この保存地区の中に、天保12年(1841)創業の醤油醸造の老舗「角長」や、昔ながらの製法で金山寺味噌を手仕込みしている「太田久助吟製」があります。
 それぞれの店で購入してきましたが、店内にはいろんな種類が並べられていて迷ってしまいます。

 「角長」の近くには、慶応2年に建てられた醸造蔵の中に昔の醤油醸造に使用された道具を展示する「角長職人蔵」や醤油造りのジオラマなどを展示する「角長醤油資料館」があります。 
 「角長醤油資料館」の2階では授業か社会見学と思われる小学生が説明を受けていて全てを見ることができずちょっと残念でした。

3.和歌山ラーメン「井出商店」と紀州徳川家の「和歌山城」

(1)和歌山ラーメンの特徴と「井出商店」の営業時間・アクセス

 和歌山のラーメンはスープの特徴から、主には2パターンに分類されるようです。
 一つは、醤油系。和歌山市内を走っていた路面電車の停車場に並んでいた屋台を発祥する味で、見た目は濃い茶色をしているものの、食べると意外とあっさりしているのが特徴。
 二つ目は、コクのあるまろやかな豚骨スープと醤油が絶妙に絡み、奥行きの深さを感じることができる豚骨醤油系。
 まろやかな口あたりでコクのある豚骨醤油ラーメンは「井出系」と呼ばれ、昭和28年に井出つや子さんが創業した「井出商店」がはじまりとのことです。

 途中、和歌山マリナーシティで「黒潮市場」や「ポルトヨーロッパ」に立ち寄り、和歌山市内の宿泊先ホテルで一休みした後、楽しみにしていた和歌山ラーメンを堪能できました。

和歌山ラーメン「井出商店」営業時間・アクセス

《住所》和歌山市田中町4-84
《電話》073-424-1689
《営業時間》11:30-22:00
《定休日》:木曜日

(2)和歌山城の歴史と見どころ

 宿泊したホテルからまじかに和歌山城を見ることができました

 以前、和歌山市を訪れた際に遠くから見ただけの和歌山城に今回はと思っていましたが、翌朝散歩して近くまでいったものの、今回も眺めるだけとなってしまいました。
 見どころなどをチェックしておき次回リベンジしたいと思います。

和歌山城と紀州徳川家

 和歌山城は、天正13年(1585年)。豊臣秀吉が紀州の平定に成功した後、弟の秀長に築城を命じたことに始まる。
 その後、関ヶ原の戦い(1600年)で活躍した浅野幸長が城主となり、大規模な改修を実施。
 元和5年(1619年)には徳川家康の第10男、頼宣(よりのぶ)が紀州藩の領主に。
 この時に和歌山城は55万5千石の広大な領地を持つお城となり、尾張・水戸と並ぶ徳川御三家の一つとして重要な存在となる。
 紀州藩からは8代将軍の吉宗(よしむね)や14代将軍の家茂(いえもち)といった重要な人物が生まれている。
 姫路城・松山城と並ぶ日本三大連立式天守のひとつで全国的に有名で、連立式構造の天守群は、遠くまで見渡せて死角がないのが特徴。

 ⇒《和歌山市「史跡和歌山城ホームページ》

よろしければ「Vol.3」「Vol.1」もご覧ください。

⇒「熊野那智大社・那智の滝・南紀勝浦「にぎわい市場」【紀伊半島一周観光Vol.1】

⇒「橋杭岩」から南紀白浜「アドベンチャーワールド」【紀伊半島一周観光Vol.2】

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