【信州 木曽路巡り 】手打旗挙そば「源氏」と木曽駒ケ岳が映える道の駅
寒さと曇り空の日が続いていましたが、久しぶりの青空と温かい日差しに美味しいそばを求めてドライブを楽しみながら木曽路へと向かいました。
今回立ち寄ったのは、平安時代に平家討伐の命を受けた、木曽義仲(源義仲)が幼少時代から過ごし、京都上洛への旗揚げをするまで過ごした木曽町日義地区にある「手打旗挙そば 源氏」です。
「木曽義仲」由来の地にある「手打旗挙そば 源氏」
「手打旗挙そば」です。そばの色が濃く出ていて、見た目が食欲をそそります。めんはやや太めでコシがありとてもおいしい蕎麦でした。
薬味のねぎがとても薄く歯ざわりよく刻まれていて、おいしさを引き立ててくれました。
二枚で1人前という段重ねでの提供で、もちろん一枚から注文もできます。以前はこうした形の店があちことにあり、たくさん食べる人が、何枚も注文し目の前にざるを重ねていた光景をみましたが、最近はこうした段重ねでの形の店をあまり見かけなくなった気がします。
そば湯にもこだわりが
洒落たデザインのはし袋の裏にあった「そばゆ一口メモ」にはこう書かれていました。
「弊店のそば粉は、自家製分につき風味及び成分はじゅうぶんに保たれています。そばの配糖体「ルチン」は毛細血管を強化する作用がありますので高血圧症の方にはお茶の代用としてそのままお飲みください。なお、健康体の方にはそばつゆで薄味をつけますと一層美味しく召し上がれます。」
店内はテーブル席のほか畳席もあり、とても広くてゆったりした雰囲気です。飲み物やつまみ類のメニューもいろいろありました。
手打旗挙そば 源氏
<住 所>木曽郡木曽町日義4398
<電 話>0264(24)2600
<営業時間>10:30~1500
<定 休 日> 火曜日
道の駅「日義 木曽駒高原ささりんどう館」と木曽駒ケ岳
「手打旗挙そば 源氏」を出た後、道の駅「日義 木曽駒高原ささりんどう館」へ立ち寄ると、建物正面の階段脇で雪だるまの人形が迎えてくれていました。
道の駅の名前に使われている「ささりんどう」は、やはり「木曽義仲」に由来していて、源氏の代表的な紋として知られている「笹竜胆(ささりんどう)」からつけられたものです。
道の駅内には、数多くの木曽路の特産品や地元農家の食材や加工品が並んでいました。また併設の食堂では木曽町産の地粉を使った二八そばが提供されているほか、木曽牛を使ったコロッケやメンチカツ定食。信州産のロース使用のとんかつ定食にかつ丼などメニューも充実していました。
中央アルプスの木曽駒ケ岳がきれいに見えていました。この場所からも見られる、秋から春にかけて雪に覆われた「駒ヶ岳連峰」が夕陽に映え、山全体が幻想的な赤紫色に彩られるみる駒ヶ岳の「夕照」が木曽八景に選定されているそうです。
道の駅の建物横にある広場には碑が立ってられ、自動販売機もきれいなラッピングが施されていました。
夕暮れまでまだ時間があり見ることができなかったのはちょっと残念でした。
おししそうな「クリームチーズパイ」「シフォンケーキ」を購入し、外の休憩コーナーにあるテーブルでテイクアウトコーヒーで食後のデザート。
そばを食べて来たばかりなのに、半生の開田高原のそばもみやげに購入。ここから少し先にある開田高原にも美味しいそば屋があるのでまた足をのばしたいと思います。
周辺には木曽義仲ゆかりの史跡が数多くあります
「旗挙そば 源氏」といっているのは、木曽義仲の旗挙に由来するものですが、木曽義仲は武蔵の国で生まれ、源氏の棟梁であった源為義の孫として育ちました。
2歳のときに父の源義賢が焼き討ちにあって殺されてしまい、その際には母親とともに木曽の地に逃れてきて、この地で暮らすこととなりました。27歳の時に皇族の呼びかけを受け、平家打倒のために挙兵し、平家軍を圧倒し、平家を都落ちさせるという功績を挙げることとなります。
店のある木曽町日義地区には木曽義仲や巴御前の資料館である「義仲館」のほか、一族の菩提寺である「徳音寺」や「旗挙八幡宮」「巴淵」など義仲にまつわる史跡が点在しています。
「旗挙八幡宮」は治承4年(1180)、義仲が以仁王の命令を受けて、平家追討の旗挙げをしたときに、この境内で戦勝祈願をしたことから旗挙八幡宮と呼ばれています。
拝殿脇には、落雷や台風の被害による被害により樹勢が衰えているものの保全に努められている樹齢約800年を超える大ケヤキがあります。
掲載時の情報は変更となっている場合もありますので、訪れる際は事前にご確認ください。
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